第52話 在庫品の評価と処分

 私は子供の頃、新聞の折込み広告の特にチャンバラ映画(=時代劇映画=良いサムライが悪人どもを刀でチャンチャンバラバラと斬ってしまう映画)のチラシが大好きで大量に収集していました。
何年か前から、書画骨董のみならずオモチャや有名スポーツ選手が身に着けていたユニフォーム等に至るまで、人々が持ち込むいろんな物を専門家が鑑定するテレビ番組(再放送?)をよく観ております。古いチラシだのハガキだのが結構な値がつくので「あのチャンバラチラシを保存しとけばよかった」と、強い 後悔の念に駆られます。それを少しずつ切り売りすれば悠々と暮らしていけたのに、と思うと残念でたまりません。

 最近のことですが、昔、少年の間で大人気だった「少年画報」という月刊雑誌の昭和35年1月号の復刻版が発売されていました。当時「少年」という雑誌もあって、これには「鉄腕アトム」や「鉄人28号」が連載されており、私たち兄弟は「少年」を買ってもらっていたので「少年画報」はあまり読めなかったのです。両方買ってもらうことは不可能でした。欲しいのに買ってもらえなかったということで、値段は何と5,000円!で したが、懐かしさのあまりとびついて買ってしまいました。
しかも買いそびれた中高年が欲しがっているようで、現在、ネットでは7,980円とかで売りに出されているようなのです。大事なところだけコピーを残して、もう少し値上がりしたら売ってしまおうかと考えたりしています。

 断捨離(だんしゃり)と称してなんでも捨てる生き方がもてはやされています。これに影響された家内が急に物を処分し始めたので油断できない状況で す。私が独身時代に使っていた大中小いくつかの鍋が、私の知らないうちに処分されてしまいました。そのうちオール電化のIHにするから、底がでこぼこの鍋は使えないのでいらないというのです。そしたら今回の原発事故でオール電化は怪しくなり、ガスと電気の併用方式に戻せばまた鍋を買わなくちゃいけなくなってしまいます。
わたくしは何度も引越しをしているので、その度に重い本を処分してきました。仕事でどうしても昔の書物に掲載されていたネタや記事が必要となり、ア マゾンで古書として求めたことが何度もあります。ネットでも入手できなかった本もありました。本当に必要な物以外はどんどん捨てるというのは、スペースがなくどうしようもない場合の方法だと思います。
本はいったん捨てたら再入手できるとは限りません。最近の研究では、昔の友達との語らい、昔のアルバムやら本や音楽やらを眺めたり読んだり聞いたりすることがボケ防止にとても効果があるそうです。スペースに余裕があるなら、捨てるのは本当に不要なガラクタのみにして、それ以外は大事にした方がいいのではないかと思います。若さに任せてどんどん捨てる生き方は、年老いてから後悔するかも知れません。

 個人のみならず企業にも同様のことが云えるのではないかと思います。製造部門の人は製品を大事にしますが、経営コンサルタント等の企業外部の人は売れなくなった滞留在庫を非常に嫌います。売上に貢献せず、逆に保管料だの管理費がかかって経営を圧迫するからです。これを 廉売したり無料で配布したりすると新製品の売れ行きに悪影響を及ぼすのでそれも出来ません。結局、廃棄されることになります。
陳腐化の激しいIT業界での、パソコンの古いOSの解説本等はどうみても廃棄やむなしと思いますし廃棄に抵抗感はありません。しかし、単に流行遅れとなっただけで品質や機能に何の問題もない例えばブランド商品のハンカチを、段ボール箱に詰めて大量に焼却することに対しては強い抵抗感があります。
焼却の様子を写真に撮って税務申告書の添付資料としないと損金処理できないので、会計士は在庫の廃棄を積極的に進言します。経営側がどうしても廃棄はできないと主張すれば、評価を下げる評価減を要求します。評価減も嫌だとなれば会社の決算書は認められないということになってきます。この考えが疑問の余地の無い真理であるかのように教わり、仕事をしてきたわけですが、常に心の隅に「何処か狂っている」という意識がありました。


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