第80話 「楽しい日本語(6)」(2013年12月6日)

 わが国にはいつの頃からか、何を見ても何を聞いても「差別だ差別だ」と過剰反応する人々が現れてきた。真っ当な言葉を差別用語と称して非難し、マスコミがまたそれを煽るので、差別的でないとされる意味不明な日本語が蔓延してきたのはご承知のとおりだ。我々は、黒人とか外国人といった言葉でさえ発言するときは気をつけなければいけなくなってしまった。家内はそういうことにはびくともしないから平気で発言する。それが新鮮で面白く感じられるというのはどこか変だ。
  息子が通学する学校に中国からの留学生がいる。その留学生の話に花を咲かせていた時に突然家内が「でも、学校には本当の外人はいないの?」と聞いた。私にはその意味がすぐに分かったが、息子は咄嗟には分からなかったようで「本当の外人って何なの?」と聞き返した。
 一昔前の普通の日本人にとって、外国人と云ったらそれは欧米人のことだった。アジア人や黒人は外国人には違いないのだが、日本人が憧れを持っていたのは大きい家に住んで車を持っている欧米の白色人種だったのである。

 終戦記念日に関連番組を見ていた家内が「無謀な戦争だったね。飛行機を竹やりで落とそうって言うんだから」「いくらなんでもそれはないよ。敵兵が飛行機から降りてきたら竹やりで突き刺そうっていうんだろ?」「それにしたってアメリカはあんな恐ろしい時限爆弾まで持っていたっていうのに………」「時限……じゃないでしょ」

 また最近はこんなこともあった。あるとき私が息子のおやつ3個のうち1個を失敬して食ってしまい、そのことを家内が息子に密告した。息子は「1個ぐらい(食べても)いいよ」と言ったのだが、それを聞いた家内が今度は私に向かって「おやつ1個でいいんだって。だからパパもう1個食べてもいいよ」と言ったのである。これなどは日本語として面白いというよりは、思考経路が特異なための面白さというべきだろう。

 差別用語とされる言葉には無頓着な家内であるが、時には「バカなんて言葉を使っちゃいけないんだよ」などと言う。「バカはバカと言うしかないんじゃないか」と反論すると「利口くない(りこくない)人って言うんだよ」と、どこで仕入れてきたか見当もつかない日本語を持ち出してきた。確かにこれだと何にでも使えそうだ「綺麗(きれい)くない人」「上品(じょうひん)くない人」などが出てくる。「立派くない人」に至っては普通に「立派じゃない人」で済むと思うのだが………。

 朝のテレビでニュースの後に高速道路や鉄道の運行状況を知らせてくれる。そのときJR東日本は「平常どおり運行しています」とさらっと言ってのける。しかしながら最近は毎日のように「線路内に人が立ち入った」とか「異音を聞いたので安全確認をする」とかで遅れが出ている。勿論そういう場合の遅れはJRの責任とは思わないし、遅れ自体を責めようなどとは毛頭思わないが、列車の遅れが平常化しつつあるということを言いたいのである。最近の状況からみると「平常どおり」というのは「どこかで遅れが出ている」ということであり、「時刻どおり」とは違うということだ。私とJRとではこの辺の認識にズレがあるようだ。

 怠け者息子を勉強させるべく、家内が厳しく監視している。出張から帰り、リビングで勉強中の息子と久しぶりに二言三言(ふたことみこと)話していたら家内が2階から吹っ飛んできた。「ちゃんと勉強してる?」「やってるよ、何であわててどたどた来たの?」「二人がべちゃべちゃ喋ってる『音』が聞こえたから………」「それならしゃべってる『声』だよ」と最近息子の指摘もなかなか的確になってきた。

 先日家内がスープだかシチューだか正体不明な液体を作った。ハヤシシチューとか言っているが、肉が入っていない。玉ねぎと人参だけだ。ゆるくてタップンタップンしてまるでこげ茶色の水だ。誰も手を出さないからちっとも減らない。次の日の夕食でそれが出た。学校から帰った息子がそれを見て「又作ったの?」と聞くので「昨日作ったのが全然減らないんだよ」と私が答えた。そしたら家内が平気な顔で「ねかせておくと美味しくなるから、ねかせておいたの」と解説した。我が家はいろんな料理がしょっちゅう冷蔵庫にねかされている。5日も10日もねかされて最後はシビれるほど美味しくなっている。「料理をねかせるとおいしくなる」と云うのは本当だ。


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