第83話 「楽しい日本語(8)」(2014年2月27日)
さすがにこのところ仕事に追われて本業の(?)おもしろ会計まで手が回らずご無沙汰となってしまった。我が家では頻度は下がってきたものの、相変わらず珍なる日本語が飛び出すので第8回目の楽しい日本語にこぎつけることができた。
ある日の夕食、息子がアジフライに手を付けず残した。私はアジフライは大好きだから食おうとしたら家内が「足りないんだったらパパはこっちのサンマを食べて」と言う。見たら朝食い残したサバだ。日本人が魚を食べなくなったというが、今ではこんな大衆魚の見分けもつかなくとも家庭の主婦が務まるのだ。エライご時勢になったものだ。
ご時勢と言えば、ようやく景気にも明るい兆しが見えてきたようで、アベノミクスと云う言葉がマスコミで取り上げられ、我が家でも会話に登場することがある。「アベノミックスなんて言ったって当てにならない」などと景気に関する場面で使っている。意味は兎も角として、発音が今一つ怪しい。ミにアクセントがかかった「アベノミックス」と発音している。どうも内容的には「アベ総理が何かをミックスした」あるいは「アベ総理と何かがミックスされた」という理解のようである。「何々学」を示す「…ics」からきているのだから「ミックス」ではなく「ミクス」で、かつミクスは軽い発音のはずだ。私の周りではこの誤解は意外に多いように感じられる。
息子が近くの整体医院に通院している。そこの中国人の先生が話好きだそうで、息子に色々聞いてくるらしい。そして例えば「日本の子供はなぜ塾に行くのか」から始まって、中国でも一人っ子に教育費をかける地域があるとか、大事にされすぎた子供が「小皇帝」と言われるようなわがままな人間になってしまって問題視されている等、話が発展していくのだそうだ。
帰宅した息子が、中国には常識を超えた「小皇帝」がいて、ガールフレンドへの贈り物が「カールスロイス」だったりするんだって!と言った。私は初めは、オリンピック選手のカールルイスの色紙かサインを、親がカネの力で買い取って子供に与えたのかと思った。ところがよく聞いたら高級車のロールスロイスのことだった。クルマに関心がなくとも、ロールスロイスくらいは日常会話で使用するようにしないと息子が恥をかくなと思った。
トコロデ毎日寒い日が続き、らくだのモモヒキが手放せない。しかしブリーフとモモヒキを重ねて穿(は)いて寝ると、そのゴムで胴体が締め付けられ全身の血流が悪くなりそうな気がする。そこで夜寝るときはブリーフを脱いでモモヒキだけ穿くことにしている。しかしブリーフを毎晩寝る前に脱いで朝穿くのは面倒で仕方がない。なぜならブリーフの着脱にはモモヒキも着脱しなければならないからだ。
一計を案じた。モモヒキの上からブリーフを穿けば、モモヒキを穿いたままでブリーフを着脱できる。この方法の利点はこれだけではない。モモヒキの上から穿いているのでブリーフは全く汚れない。従って穿きかえる必要もない。モモヒキは元来毎日穿き替えるべきものではない。従ってモモヒキは適宜交換すれば衛生上何ら問題ない(ここのところは理論的破綻があるかも知れない)。毎日同じブリーフをモモヒキの上から穿いたり脱いだりしており、とても手軽で楽だ。
私のこの画期的なやり方を家内はなぜか快く思っていない。先日、風邪を引いてなかなか治らない息子に忠告した。「セーターの裾(すそ)はパンツの中に入れて、ズボンのすそは靴下の中に入れるようにするんだ。そうすれば肌が冷たい外気に触れることがないから体が温まって風邪なんかすぐ治るんだ。」と教えた。すると隣にいた家内が「お父さんはモモヒキの上からブリーフを穿く人だから平気かも知れないけど、普通の人はそんなことしないわよ。お父さんの格好は鬼のパンツ穿いた学芸会のトラよ。」と言ったのだ。家内の後半のせりふは例によってイメージをいい加減に並べただけで、正しくは「お父さんの格好は、トラの皮のパンツをはいた節分の鬼よ」ということなのだ。
家内の日本語はこのように意味不明であり、かなりの推量をしないと意思疎通が出来ない。私の超人的な苦労を少しでも理解して欲しいものだ。