第51話 消費の価格弾力性

「おもしろ会計」の売行きをネットで調べて喜んだり落ち込んだりしています。書店の在庫が1冊でも減っていると、買って下さった方のもとへ飛んで行って腰でも肩でも揉んで差し上げたい気持ちになります。書評を投稿してくださった方には虎屋の羊羹でも差し入れたい気持ちです。

バブル時代が終わり、長い不況に入ったまま抜け出せません。スポーツ選手等の「頑張った自分へのごほうび」という言葉をよく聞きますが、これを受けて評論家やコメンテーターの発言は「人々は、日用品は安いもので済ませるが、ここ一番というときには惜しまずカネをかけるようになった」などというのが主流となったようです。

「ここ一番というときカネを惜しまず贅沢する」生活スタイルが今の日本で一般的と云えるのか疑問だと思います。というのも自分の周囲を見ていると、人々は堅実に生活しており、ここ一番であろうがなかろうが価格に厳しく、常に安いものを求めていると感じられるからです。

家から自転車で行けるところに天然温泉があるのですが、入館者数と入浴料金の間にとても高い相関関係がみられるのです。この温泉の入館料(入浴料)は通常600円でこれでも十分に安いと思うのですが、不定期にセール期間があり、500円、450円といろいろ変更されます。頻繁にレディスデーというのがあってこの日は390円です。お年寄りの女性が大挙して押し寄せます。

通常価格の600円では閑古鳥が鳴く状況なのに、最も安い390円の時は行列が出来てしまうのです。この辺の人は車で移動するから雨天も苦にならないようで、天候の良し悪しは来客数にほとんど影響がありません。特に年配の人たちが価格に敏感に反応するようにみえます。どこにこんなにいたのかと思うほど大勢のお年寄りがレディスデーには現れてくるのです。

また先日は、近所の電器店が店舗統合で閉鎖されました。売れ行き不振による閉鎖ですが、統合による店舗整理であって、倒産ではないから8割引き9割引きという派手な投げ売りはしませんでした。平均5割引き程度で、都心部の大型電器店なら驚くほどの値引きではありませんでしたが、店じまいセールでは、人であふれんばかりの大盛況でした。

要するに私の周りの人たち、なかでも多数を占めるお年寄りは特に、高ければ買わない、安くなるまで待つ、必要不可欠なものは結局は買うもののできるだけ安いところを捜す、というようにみえるのです。「価格に関する情報の完璧な共有の下、人々は少しでも安い方を購入する」というのが経済学の価格理論の前提です。このうち、「情報の完璧な共有」は兎も角として、「少しでも安い方を購入する」という前提は間違いないのです。

日本語という壁があるから労働力の国際競争はないだろうとの安心は、工場や事業部等の海外移転によりすでに崩れています。有力企業の多くが国内での雇用を減らしつつ、逆に海外での採用を大幅に増やしているとききます。労働力も国際競争にさらされ、給料のみならず雇用自体も減少している状況です。加えて年金の将来にも不安があるのですから、当然消費者の財布のひもは固くなるわけです。物もサービスも安くなければ売れません。デパートの経営が厳しいのもよくわかります。

「人々は、日用品はシビアに安いもので済ませるが、その分ここ一番というときには惜しまずカネをかけるようになった」という評論家の決まり文句の後半は、少なくとも全国的に通用する見方ではないと思います。「健康や安全に不可欠なモノにはカネをかける」という方が現実に近いのではないでしょうか。

だとすると「おもしろ会計」がそんなに売れなくとも不思議はないことになります。世間一般にありふれた内容にならないよう目指したつもりでしたが、必要不可欠なモノではありません。ならば価格を下げればいいことになります。しかし発行部数が少ないので定価にほぼひとしい原価がかかっており、それも難しいのです。やっぱり『よろしくお願いいたします』しかありません。あせらず行こうと思います。


前号 最新号 バックナンバー一覧 次号