第47回「パソコンは有害?」(2011年8月6日)

パソコンは本当に便利だと思います。長い文章を作成するとき、修正や並べ替えが容易に出来ます。これを紙の上でやったら汚くなって大変です。根拠資料もネットで極めて容易に検索できます。会計ソフトをパソコンに入れればあとは取引を入力するだけで決算書、資金収支表等が即座にできてしまいます。今回はこの便利なパソコンについていろいろ考えました。

わが国では少子高齢化が進み、ひとりの子供を両親、祖父母、親戚と多くの大人が取り囲んで物を買い与えるので、中高生が自分専用のパソコンをもっているケースが決して珍しいことではなくなりました。学校からの連絡等もホームページでなされるようになってきております。息子の学校でも宿題は電子データにしてメールで送るよう指示する先生が現れました。宿題の課題の解決やレポート作成にパソコンを使用する生徒は決して少なくありません。

こうした状況に対し、成長途上の中高生がパソコンに頼るという状況は問題があるのではないか、中高生は地道な学習に専念させるべきではないかとの意見もよく読んだり聞いたりします。中高生のパソコン使用に否定的な考えの根拠はおおよそ以下のようなものだと思います。

① 漢字を覚える機会を失ってしまう。漢字は読みながら手で何度も何度も書かなければ覚えられるものではない。人並みのきれいな字を書けるようになるためにも実際に書くことが必要だ。

② 自分で考えることが出来なくなる可能性がある。問題解決にあたりネットで検索してそれらしい答えを見つけて丸写し、ということばかり繰り返していると新しい問題に直面した時困るはずだ。

③ 情報を集めるための様々な経験が積めない。ネット利用の情報検索は、単にキーワードを入れるだけで済むので極めて容易である。昔のように、欲しい情報がどんな資料に記載されているか、その資料は図書館にあるのか、市役所にあるのか、役所の閉館日や利用条件、所在場所や交通手段等いろんなことを確認したり調べたりする必要がある。実際に電車やバスでそこまで行き、係の人に挨拶し用件を話す、といった大事な学習や貴重な体験の機会を失ってしまう。

紙データならば、資料入手後も該当箇所を効率よく調べるために、その書物の構成を理解し、欲しい情報の分類・性格等から資料のどの章に掲載されているか見当をつける等の訓練ができる。

それが今では、学校の宿題も、どこかへ出かけるときのルートも、交通機関の乗継ぎもすべてパソコンで容易に出来てしまい、恐ろしいぐらいアタマを使わない。

④ 論理の組立が出来なくなってしまう。パソコンを使えば、話の筋が見えていなくても論点ごとに小単元にまとめ、後で「切り取り」「貼り付け」をすればいかようにも修正がきく。そのため、まず頭の中でレポートの構想を練り、全体の筋を固めたうえで一気に書き上げるという訓練の機会を逃してしまう。

私は、これら否定説の根拠の多くは対処可能なように思います。まず、①については、意識的に漢字の練習をするなり、私事に関しては努めて手紙を書くようにする等でカバーできることだと思います。しかし、相当シッカリした意識を持っていないと安易に流され、パソコン否定説の言うとおりになってしまうと思います。
②については、ネットで一応の解決策を入手できたら、それをそのまま吟味もせず丸写しするような人はいつの時代もいたと思われます。昔は、ネット情報ではなく他人の著書やアイデアを丸写ししていただけのことであり、パソコンが悪いわけではないと思うのです。
③については、満足のいく仕事の為にはネットで入手した情報の理解や検証、追加情報の補充等でやはり相当な努力が必要となるものであり、情報収集能力の退化はないと思われます。

これに対し、④については確かに一理あると思います。特に入試や各種資格試験の論文試験では大きな影響が出るのではないでしょうか。試験への影響に関しては、電卓が普及しだした頃を思い出します。これからは加減乗除の筆算は不要となる、基本的な計算練習だけで十分だ、筆算の訓練は不可欠だ、小学生には電卓使用を禁止すべきだ等々いろんな議論がなされたものです。

ところがその後、電卓の低価格化・普及が進み、今では各種試験での電卓持込みが当たり前になり、受験においては計算力の欠落が特に問題とはならないようにみえます。しかしながらパソコンに関してはどうでしょうか。パソコンの小型化・低価格化がさらに進み、近い将来電卓と同様に、高校・大学の入試や各種資格試験の論述試験において試験会場へのパソコン持ち込みが認められるようになるでしょうか。

私はそうはならないと思います。画面の関係で小型化には限度があるし、受験生全員が共通プリンタやネットと接続できるような環境を、年1回の試験のために整備できるか等の問題の他に、なによりもパソコンなど使用させなくとも実力判定が出来るからです。パソコンの「切り取り」「貼り付け」で育った学生・生徒は、論文式試験ではかなり苦しむのではないかと思います。

数年前の話ですが、簿記の講義兼演習で簡単な設例をやらせた時、ボーっとして何もしない学生がいました。もうできたのかと尋ねると「電卓忘れたから出来ない」との返答でした。筆算でやるよう指示しましたが、便利な機械に頼り切った教育の弊害を感じたものです。

しかし、これはあくまでも個人の意欲の問題であって、電卓あるいはパソコン自体の責任ではないと思います。会計ソフトが普及して、多くの人が自分で確定申告をするようになり、「ウーン困った、これはまずい……………」と思ったこともありましたが、よく考えてみると入力した取引データの単純な転記の部分、要するに単純作業をパソコンにやらせているだけなのです。情報検索も単純作業をパソコンにやらせているだけです。

会計ソフトの普及で仕事が減るとすれば、それは単純作業で飯を食っていることに他なりません。平凡な結論ですが、単純作業はパソコンに任せ、そこから離れたもっと専門的なところでお客様に貢献しないといけないと強く思いました。
(補足:この配信から2年ほどたってやっとパソコンへの過度の依存による弊害に気が付き、現在では私の考えはこれとは変わっています)


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