第45回「名人芸」(2011年7月22日)

今回は名人芸と言われるものについて考えてみたいと思います。プロゴルファーともなれば、自分の愛用しているクラブがほんの少し重さが変わっても分かるそうです。スタッフがクラブに1円玉を貼りつけたか否かを、目隠しをしたプロゴルファーが持ってみて、当てるというTV番組を見たことがあります。番組では見事に当てていましたが、イカサマが無いのであれば確かにすごいなと感心したものです。

ところが実は、私にもこのゴルファーに近いレベルに達しているのではないかと思うことがあるのです。これまでも何度かお話ししていますが、私の家内はとても大雑把でそのうえ掃除が好きではありませんから、床にいろんなものが落ちているのです。台所では米粒や干からびた小女子(こうなご=イワシの稚魚?)、リビングではせんべいのカケラや肝油や消化剤の錠剤等いろいろです。夏は室内を裸足で歩きまわるので足の裏にこれらの落し物が貼りつくのです。その度に私は立ち止まり、「ん、これは米粒だな?」とか「この感触は小女子か?」などと推測するのですがほぼ100%正解です。足の裏からはがして屑カゴに捨てますが、高価な錠剤の時は、瓶に戻してやろうかと思うこともあります。

つい最近のことですが、足の裏にこれまでと違う感触を覚え「これは難しいな」と感じました。よく考えた結果、昨日スダレをつるしたから、葦(ヨシ)の皮が剥がれやつだろうと結論を出しました。足の裏をみてみるとシュレッダーで裁断した紙屑でした。正解には至りませんでしたが、私の足裏のセンサーは長さ1.5cmで幅2mm位のクズ紙片も感じ取れるという敏感さを示したのです。当たらずとも遠からず、と云えると思います。これは、世間でよく言う名人芸に近いのではないでしょうか。

ここで改めて、これまでテレビで観たり経験した名人芸の話を少し検討してみます。まず一つ目ですが、旨いソバの秘密を探ろうと、そば粉の捏(こ)ね具合が、そば打ちの名人と機械とでどう違うのかを解き明かそうとした番組がありました。番組ではウドン粉を材料としたのですが、途中で赤い染料を混ぜ、名人が捏ねたものと機械が捏ねたものを1個ずつ作り、最後にそれぞれを真っ二つに切って中の様子を比較するという内容でした。

結果は意外なものでした。機械が捏ねたウドン粉の球は赤い染料の粒々(つぶつぶ)が識別できる大きさのまま全体に万遍なく混ざっていたのに対し、名人が捏ねたウドン粉の球は全体の1/3だけに赤い染料が混ざっており、残り2/3は真っ白いままだったのです。ただ、名人が捏ねたこの1/3の部分は赤い染料の粒々(つぶつぶ)が見分けられないまでに微細になっており、極めてよく捏ねられていて、うすい均一なピンク色になっていました。

名人の捏ねかたは、ウドン粉玉全体の1/3だけを極めて丁寧に捏ね、残り2/3は全く捏ねていなかったということでした。半分以上が捏ねられていないソバを食通と言われる人たちが旨い旨いと言って食べていたのです。全く捏ねられていない部分と実によく捏ねられた部分のミックスされたソバを人間の味覚は「旨い」と感じるのかも知れませんが、食通と称する者が本当はどうなのか考えさせるという点では面白い番組でした。バブル真っ最中には、名人の打ったソバを飛行機に乗って食いに来るという人間を本物の食通として放映するTV番組はたくさんあったものです。

二つ目として、帳簿捜査をする捜査員を対象とした決算書の見方、分析法等の授業を持った時の経験をとりあげたいと思います。ある捜査員が駆け出しの頃の体験で、帳簿捜査の名人と言われた大先輩のやり方が今でも不思議で仕方がない、と質問してきたのです。その大先輩は、帳簿をぺらぺらと眺めて「ん、分った。会社の状況は全部分かった。確認の為一応質問するから正直に答えなさい」とやっていた。しかし、本当に帳簿をパラパラ見るだけで会社の実態が分るものでしょうか?というのが質問です。私の場合、帳簿をパラパラ見ただけでも大まかな実態把握は可能です。しかし、会社の多くはジックリ時間をかけて分析しないと詳しくは分からない、というのが正直なところです。

世間に名人と言われる人は多いのですが、その名人芸は意外に大したことではなく多くの人が同様のことができたり、先輩から教わったとおりにやっているだけで、科学的なメスを入れると仰天するような結果が出るということがままあるように思います。ただ、帳簿捜査の名人のやり方は、私の知らない秘訣があるかも知れないので私の経験だけではハッタリが入っているとか入っていないとか判断できません。その時は正直に「自分の場合はこうだ」という回答をしたと記憶しています。


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