第42回「夏が来れば思い出す」(2011年7月1日)

夏は好きではありませんが、梅雨よりは好きです。蒸し暑い日が続くので今回も前回に続いて会計から少し離れた軽いお話でいきたいと思います。

夏の真っ盛りの8月2日、3日は私の故郷では盛大に夏祭りが行われます。この頃になると、毎年ではありませんが、幼少時代の大変な体験を思い出してしまいます。私の故郷では、各町内会がそれぞれ自分たちの山車を1台ずつ所有していました。夏祭りになると、各町内会がそれぞれの山車を組み立てます。山車には大きな太鼓が備え付けられ、小さな子供が乗るスペースがあり、太鼓に合わせて横笛やら三味線の演奏も加わって賑やかになります。山車には木製の大きな車輪と、牽引用の綱がついていて2日の夜と、3日の昼の2回、子供たちが山車を引いて練り歩くのです。

私の町内では山車の部品は金毘羅神社に保管してあり、そこで町内の役付きが山車を組み立てます。町内の大人も子供も定刻に金毘羅様に集まってそこを出発し、山車引き専門のキン肉マンのような大人二人と子供たちが山車を引き、いったん市の中心部の諏訪神社(おスワ様)に集合します。お諏訪様の敷地には屋台などがたくさん出店しており、そこで小一時間も休憩して、その後市内を練り歩き、各町内の出発場所へ帰るというコースをとります。

出発から帰還まで2~3時間くらいだったでしょうか。2日の夜のコースはまだしも、3日の昼のコースは真夏の一番暑い時でかなり過酷なのになぜ参加するのかというと、帰還した時、何種類ものお菓子を詰めた紙袋をもらえるからです。

忘れもしないこの年は、母が体調が悪くて家で寝ており、兄と私だけで参加しました。最後にもらえるお菓子を心の支えとして頑張ってようやく金毘羅神社にもどってきました。そしてその時私はとんでもない愚かな行動をとってしまいました。

私は疲労困憊しており、無事金毘羅様まで戻れたことが非常に嬉しくて、また体調の良くない母が心配だったこともあって、神社から50メートル位しか離れていない自宅に駆け戻って、母に無事に帰還したことを報告したのです。

少し話した後、母が「お菓子貰ったか」と聞くので、ご褒美のお菓子のことを思い出し慌てて金毘羅様に駆け戻ったのですが、お菓子は配り終わった後で、山車を引っ張る専門のおじさんや他の大人たちが酒を飲んでいるだけでした。子供らしく素直に「おじちゃん、僕まだお菓子貰ってない」と云えなかったのは子供ながらに「時間も経ってしまったし、お菓子を貰ってないことを証明できない」という意識があったように思います。また、酒を飲んで大きな声で話していた日焼けしたキン肉マンが怖かったのも事実です。

小学校入学前の子供ですから事情を誰に話したらいいのか分からず家に戻りました。母も体調が良くなくて消極的になっていたようで、「かぁちゃんが何か買ってやるから諦めな」ということで泣き寝入りしてしまいました。兄は普通にご褒美をもらっていたので、それを分けて食べたはずですが、何しろショックが大きすぎたのかそのときのお菓子の味等を全く覚えておりません。

小さな田舎町で、どこの家の誰が参加していたか分かっているはずなのに、誰一人「おう、孝ちゃんはお菓子まだじゃないか?」と聞いてくれる大人がいなかったのが淋しいです。何十年もたってるのに今でも時々思い出し、悔しくなります。子供心が大きく傷ついた事件でした。


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