第38回「学生寮で騙された」(2011年6月3日)

前回は少し硬い話でつまらなかったと思います。今回は気楽に読めるやわらかいお話です。当然ながら会計・税務とは関係ありませんから、会計・税務のノウハウを高めようという方には申し訳ありません。

悪いことをした人は必ずと言っていいくらい罪が軽くなるよう嘘をつきます。「返済するつもりだった」「殺すつもりはなかった」等々。そんな言い訳は状況から判断して通る筈がない場合でも主張するようです。以下は、正真正銘「つもりだった」話です。

私は、入学から卒業するまで学生時代を寮で過ごしました。寮は、広い敷地に古い木造の2階建ての建物で、南北2棟ありました。記憶があいまいですが北棟は大きい部屋で構成され、各部屋18畳くらいあったように思います。そこに原則3人入っていました。南棟は小さい部屋で構成され、各部屋12畳くらいで2人入っていました。いずれも広い押入れがついていました。3人部屋は上級生2人が窓側、新入生が廊下側でした。上級生は、例外もありましたが、学年にほぼ比例してたくさんの書籍を持っていました。大学院生もいましたので彼らは本立てに入りきらない蔵書を押し入れやその辺に山積みにしていました。

入寮してすぐ、自己紹介をやらされたり、花見を兼ねた歓迎コンパで美味しくない安酒を飲まされたり、部屋のコンパで先輩の慣れた手料理を食べたり、寮生総会で寮の自治とはこんなことをするのかと感心したり、とにかくアッという間に1か月ほどが過ぎ若葉の季節となりました。日曜で朝寝をしていた時のことです。寮内に突如火災発生の放送が流れ、寮役員が大声で避難を呼びかけて走り回ってきました。

私の部屋は北棟2階の3人部屋で、先輩の一人は山登りが好きで日曜でも早暗いうちからどこかへ登山に出かけていて留守でした。もう一人は工学部の院生で実験とかで前日から研究室に泊まり込んでいて帰宅していませんでした。善良で常に他人を思いやる心の持ち主だった私は、自分の身の危険よりも、お世話になっている先輩の荷物をどうすべきかをまず考えたのです。山登りの先輩は例外的にあまり本を持っていませんでしたからほっとくことにしました。

尊敬していた院生は高価そうな分厚い本をたくさん持っていました。とりあえず貴重な書籍を何とか避難させなくちゃ、と思い、咄嗟の判断で2階の窓からその高価そうな本を中庭へどんどん放り投げたのです。その時、寮役員が逃げ遅れがいないか見回りに来て「佐藤、何やってんだ」というのです。「本が燃えたら大変だから避難させてます…」その時の役員の何とも言いようのない困ったような複雑な表情は今でも覚えています。「本はいいから外へ出ろ」と言われて外へ出ました。

寝起き姿の寮生が大勢、何もすることがないといった感じで玄関前に集まっていました。なぜか消防車はなく、消防署員が1名だけ来ていて、近くに赤い消火器が2,3本おいてありました。私を引っ張った寮役員が別の寮役員に何かぼそぼそ伝えていたので、「俺の献身的な働きを伝えているんだな」と思いました。

寮委員長が「皆さん朝早くからご苦労様です。全員避難できたようなので、これから消火器の使用法を云々(記憶が定かではありません)」などと挨拶を始めました。鈍い私はここで初めて火災避難訓練だったことに気がつき、あの本をどうしようかと思いました。消防署員が短い挨拶をして消火器の使い方の説明を始めましたが、私の頭はそれどころではありませんでした。

火災訓練終了後、寮役員(2年生が就任します)はなぜか上機嫌で、私が2階からバラ撒いた本の回収を手伝ってくれました。彼らがなぜ上機嫌だったかというと、それだけ火事の知らせが真に迫っていたということで、3年生以上から褒められたからです。院生の貴重な蔵書は、重いので箱の角がつぶれたり、泥が付いたり、なぎ倒された草の青汁がしみたりして悲惨な状況となっていました。院生が帰るまでまさに針のむしろに座っている感じでした。幸い院生は内心はどうか知りませんが、大笑いして済ませてくれました。私は本当に火事だと信じ、彼の書籍を守る「つもりだった」のです。


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