第30回「なせば成る」(2011年4月8日)

このところ堅い話が続いたので、今回は少し柔らかいお話です。
私が中学生の時のことです。視力測定の前日、片目ずつ壁に貼ったカレンダーでおおよその視力を測ってみたらよく見えませんでした。私は中学生からメガネを掛けていました。両眼で見るとマァマァ見えるのですが片眼ずつ見てみるとメガネをかけてもあまり見えず、視力は0.5くらいと推測されました。メガネを掛けて両眼で視力0.5では悔しいので何とかしようと考えました。

兄もメガネを掛けていて、レンズを交換したばかりだったので、外した古いレンズを借りて覗いてみました。そしたら結構よく見えるので拝借して自分のメガネのレンズと交換してハメ込むことにしました。
当時のメガネのフレームはセルロイドが殆どで、眼鏡店のオヤジがニクロム線の電気コンロの上でメガネのフレームを温めて膨張させ、削ったレンズをはめ込んでいたのです。フレームが冷めて縮小すればレンズがしっかり固定されるというわけです。

この程度のことなら俺にもできると思い、私のメガネから度の弱くなったレンズを外して、度の強い兄のお古のレンズをはめ込む作業に取り掛かりました。ただ、ウチには電気コンロがなかったので長火鉢(ながひばち=木製で直方体の形の箱火鉢)の炭火で温めることにしました。なるべくフレームだけ温まるよう注意して炭火に近づけ膨張させて、首尾よく度の弱い2枚のレンズをプリッと外すことに成功しました。

次は兄のレンズをハメるだけです。しかし、兄のメガネは私のよりもサイズが幾分大きく、レンズも私のメガネフレームよりわずかに大きかったので、なかなかうまく入りませんでした。面倒なので、フレームを少し強くあぶって柔らかくしてゴムのように引き延ばしてやろうと思いました。

そして、強い熱線を出している炭火にかなり近づけてあぶったのです。慎重にやったつもりでしたが、「ボッ」と火が付きセルロイドが激しい勢いで燃え出しました。驚きましたが咄嗟に、長火鉢の猫板(ねこいた=引出しの処。板張りで暖かいので猫が好んでここに乗るためこうよばれるのだそうです)にあった皿に盛りつけてあったタクワンにジュッと押し付けて消火しました。セルロイドが燃えると火の勢いもすごいのですが、臭い有毒ガスまで出るのです。呑気な家族もさすがに皆びっくりして「何やってんだ!ばかたれ」ということになり、危険な作業は断念せざるを得なくなりました。

しかし、元のレンズをはめ直さないといけないので、今度は安全な手法としてお湯を沸かして温めることにしました。メガネの前面の燃えかすをこそぎ落としたらフレームがだいぶ薄くなって、レンズを支えられるか心もとない状態でした。小さい鍋でお湯を沸かし、フレームを入れ、引き揚げて素早くレンズをはめようとしたら入らないのです。さっきまで入っていたレンズですから入らない筈はないので、もう一度お湯に入れて十分温めて再度挑戦してやっと気が付きました。フレームが縮んでしまったのです。セルロイドは煮ると縮むということを初めて知りました。興奮していたのですぐには気づきませんでした。

明日、視力検査ですから絶対にレンズをはめ込まなければなりません。が、フレームは見た目にもはっきりわかるぐらいに縮んでおり、元に戻すことが不可能であることは明白でした。最後の手段で、レンズをヤスリで削ることにしました。父はあきれたように「怪我しないようにな」とだけ言いました。棒状の平ヤスリで必死にこすりました。レンズが割れないようレンズもヤスリも濡らしながら削りました。この時ばかりは私の人生で5本の指に入るくらいに真剣に打ち込み、何とか縮んだフレームに入るまでに削ることが出来ました。結局、冷や汗やら遠赤外線による汗やらの大汗をかいてレンズをハズし、またハメただけということでした。

レンズの削り面がギザギザのため外周が白く見え、目立たないようにとビニールテープを貼り付けましたが効果がなく、不思議なメガネが出来上がりました。腹を決めてそのメガネで翌日の視力検査に臨みました。確か両眼とも0.3くらいだったと思います。「何だそのメガネは?」とか「それしか見えねぇの?」などという生徒もなく、心配した割には特に何ということもありませんでした。

この体験で、火はどんな方法でもいいからすぐに消さなければいけないということ、セルロイドを煮ると縮むということ、燃やせば有毒ガスが出るということ、本気になればヤスリでガラスをかなり削れることを学びました。「骨折り損のくたびれもうけ」という諺の意味を体で味わいました。自分が思うほど他人は注目していないということも学びました。

バカバカしい一日でしたが収穫の多い一日でした。おまけに数日後によく見えるメガネを買ってもらい、とても嬉しかったのを覚えています。消火に使用したタクワンがセルロイド臭くなったか、食べたのか捨てたのか不思議なことに一切覚えていません。


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