第60回「行商人から教わった経営者魂」(2011年11月11日)

 今回は、行商という形態の商売についてのエッセンスのお話しです。
学生時代に洋服店のアルバイトを随分やりました。30年以上前は、東北地方といえども今ほど車社会になっておらず、また郊外型の大型洋服店もなく、スーツに関しては行商という商売が成り立つ時代でした。洋服店のおやじ(以下オヤジ)が、我々の寮に適宜、求人の電話を入れてくるのです。寮の定員は70名位でしたから誰かしら暇な人間がおり、大半の学生がゲルピン(この言葉、若い人にも通じるでしょうか?)に近い状況だったので、求人が直前であっても応募者はいたものです。

オヤジがライトバンというクルマに種々の体型のスーツ5~10着位とそれなりの種類のスーツの生地を積んで近辺の小都市を回るのです。そして電電公社(今のNTT)等の一流企業に入り込んで「これはあなたにピッタリ!ぜひこれを着てほしい」「この生地はね、蛍光灯じゃなく太陽の光の下で見せたいんだな。素っ晴らしいから」などと販売するのです。

昼の休憩時間に合わせて入り込むということでもなく勤務時間中に平気で入っていきました。いまでも健在な「乳酸菌飲料の販売」と同じです。「訪問販売お断り」などという無粋な看板や張り紙には一度も出会いませんでした。おおらかな時代でした。このオヤジは、我々学生に対しては「何を聞かれても『私はアルバイトですから何もわかりません』というんだぞ」と厳命しておりました。ですから我々は洋服や生地を営業場所に展示したり、帰りに片づけたりする程度であとはクルマの助手席でオヤジと話をするだけでした。はっきり言って楽ちんでした。

 ただ、オヤジは異常なケチで、第1回目のアルバイトでは11時にもならないうちに「昼飯にするか?」と聞くのです。うっかり「まだ腹減ってません」と言ってしまったら「えっ、いらないの? あっそう、体悪いんじゃないよね じゃ、僕だけ食べてくるから車の中で待ってて」などと立て続けにしゃべり、こちらに反論する機会を与えませんでした。そしてその辺のうどん屋あたりでクルマを止め、自分だけ何かを食ってきました。「いやー、ひどい料理だった。君、体には気を付けてね」うるせーこの爺ぃと思いました。
勿論2回目は朝食抜きで出かけ、11時からおいしい昼食を頂きました。3回目からは昼食は普通に12時前後になったので、「やっぱりそうだったのか」と思いました。このオヤジの戦略を事前に知らずに犠牲になったのが私の他にもう一人いました。

 社会に出てからオヤジのやり方も一理あることが分かりました。オヤジは、電電公社等の一流企業に乗り込んで商売するということで、相手になめられないように学生を従えて敵地?に乗り込み皆の前であれこれ学生に指図することにより、小なりとはいえ経営者であることの体面を保とうとしたのだろうと思います。

 私が卒業後勤務した会社も、西新宿の高層ビルへ移転してから業績が大きく伸びました。自分のオフィス以上の客は掴めないという考えも教えてもらいました。上客を掴みたかったら無理をしてでも都心部にビルを借り、人を雇ってそれなりの外観を備えなければいけないということのようです。しかし、これはなかなか大きな冒険で、まだ実行できておりません。

 当時私は、洋服の売価は特に安いわけでもないし、毎回のアルバイト料がそれほど負担ではないはずだと思っていました。しかし、オヤジは自営業者ですから東京電力のように毎月高額の年金がもらえるわけではありません。各種保険料の負担や老後の備え等が必要不可欠ですから少しでも節約したかったに違いありません。アルバイト使用人からの評価も気にせず節約に走りつつ、顧客に対しては経営者としての見栄や誇りを守ろうとしたオヤジはやはり経営者だったんだなと、なぜか今では懐かしくなります。


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