第73号「今度は実がなる柿の枝」(2013年11月23日配信)

 本当にめっきり寒くなってきた。夏から急に冬になった感じだ。庭の柿の葉もずっと緑のままだったのが、急の寒さで例年どおりの黄色や赤に変わる余裕も無かったらしい。汚い茶色に変わってしまい、早くも散り始めた。

 しかしそんなことより私にとって最大の関心事は柿の木が来年本当に実を付けてくれるか、要するに芽をふくかと云うことだ。今年は私の大チョンボにより新芽を全て剪定してしまったので、葉っぱだけがわさわさと生え柿の実が全く実らなかったのだ。このことは第62話他に詳しく述べてある。
 葉が緑のうちはまだ早いが、散り出したらもう新芽が出ているかも知れない。先日そばへ寄ってよく観てみたら………万歳!!小さな芽が枝のいたるところに顔を覗かせていた。よかった!来年は柿の実が食えるぞ。枝がジャングルのように繁茂して交錯していても今年は切り過ぎないようにしよう。
 
 夏の間に山茶花やら金木犀の葉を発酵・熟成させて作った黒い良質の腐葉土を柿の木の根元およびその周囲の土にすき込み、上に落ち葉をかぶせた。いま製造中の腐葉土も来年までにはに完成するだろうから、追加で柿の木に配給してやろう。1年先に実るであろう美味しい柿が今から目に浮かぶ。それにしても植物の世話と云うものは色々教えられるものだ。

むかし小学生時代にはよく草むしりをやらされた。当時、学校には「草は悪いもの醜いもの、道端にもグランドにも生えていてはいけないもの」と云う認識だったようだ。ムシった草はゴミとして捨てており、捨てずに集めて腐らせ、良質の土を作る授業などということはなかったのである。
 今でも状況は似たようなものではないだろうか。エコだの環境に易しいだの省エネだの、皆が言うから授業では教えているだろうが、あくまでも言葉だけの伝達であって、本当に理解させようとしているわけでもないだろう。
 園児や児童に農園での芋堀りなどをやらせているが、土づくりまでやっているという話は聞いたことが無い。農家に頼んで栽培・手入れをしてもらって、自分たちがやるのは最後の収穫だけ。これで農業や自然が分かったということではないと思うが。

 土は、作物を栽培すれば栄養分を吸い取られて痩せてくる。庭に生えてくる雑草をムシって捨ててばかりでは土が劣化してくる。硬くてボロボロした小石のような土になってしまう。これは体験しなければ分からない。剪定した小枝や落ち葉を腐らせ、腐葉土を作って、硬くなった土にすきこんでやらなければならないのだ。

 大分昔の話だがキャベツの値段が暴落し、出荷すればするほど赤字が嵩むという事で、トラクターで潰して土にすきこんでいる場面をTVで放映していたことがある。こういう場合のコメンテーターの発言は「農家の人の心を思うと胸が痛みます」とか「栽培した人達の気持はいかばかりでしょう」など、予想どおりのものだった。この人たちは農業や堆肥作りはやったことがないんだな、と思ったものだ。

 私は、こういう場合の栽培者の気持はそんなに辛いものではないと思う。踏み潰されたキャベツは肥料となって来年また何かの作物に生まれ変わるのだ。何の辛いことがあろうか。広い庭に広い屋敷に立派な仏壇があっても、農家には現金収入は多くはなく、贅沢な生活はしていない。現金収入が減少すれば医療費、教育費、農業に必要な経費の支払ができなくなってしまう。キャベツが潰されることよりも現金収入がなくなることのほうがつらいはずだ。
 作物栽培をしていると、永続可能な循環型社会というものは人間と植物とが共生しなければ達成できない、と云うことが分かってくる。


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