第55号「やっぱりどこかヘン」(2013年4月19日配信)

 駅前から東方向に伸びる幹線道路が舗装されました。車道の両端がともに幅2メートルくらい真っ青な色に塗り替えられました。よく言えばハワイかどこかのリゾート地を思わせるような鮮やかな色なのです。秋葉原とか新宿の派手な電飾街ならこの派手さが生きるかもしれませんが、率直に言って落ち着いた日本の風景には馴染まないと思います。

聞いてみると、そこは自転車専用(優先?)地帯ということで色分けしたのだそうです。この道路は歩道が広く自転車が走行しても何の問題もありませんでした。現に広い歩道は、これまで歩行者用部分と自転車用部分に分離されていたのです。

確かに大分前に、歩道は幅が△メートル以上ないと自転車は走れなくなるとか、自転車は車道を走らなければいけないくなる、ということを聞いたことはあります。そしてその理由は、自転車の暴走による事故が増加したから、ということも聞いています。特にブレーキを外した危険な自転車が若者の間で流行して、事故が多発するので止む無くこういうことになったとか。

 私はこれを聞いたときとてもいやな気分になりました。自転車のブレーキを外して乗るということは正気の沙汰ではありません。ブレーキは必須のもの、何がなくともブレーキだけはなくてはならない重要不可欠なもののはずです。が、私が嫌な気分になったのはブレーキなしで走る若者についてではありません。こうした事態に対する行政側の対処です。

 対処法はただ一つ、自転車のブレーキを外して乗っている者を厳罰に処すことです。そのような危険な改造自転車は、見つけ次第没収すればたちどころに解決する話です。それをせずにルールを守って安全に載っている人をひっくるめて歩道から追い出せば解決だ、歩行者の安全が保てる、というその短絡的かつ無責任な考えに驚いたのです。車道を走る自転車が車に引っ掛けられて極めて危険なので、歩道を走れるようにしたはずです。再び車道に追いやるということは、自転車が車道を走るリスクがなくなったとでも云うのかと言いたいのです。

わが国が、加害者の人権ばかりが保護される犯罪者天国になって久しいと思います。罰すべきは罰す、という基本が遵守されなければ、治安は保てません。よく「厳罰化しても犯罪は減らない」などという発言を聞きますが、ふざけた話だと思います。予測される被害の重大さ、犯した罪の重さに応じて処罰されるべきであって、見せしめ効果がないから処罰をやめようとか刑を軽くしよういう考えは、逆に見せしめのためにこいつを厳罰に処してやろうという考えと表裏一体です。犯罪を減らすために処罰するという考えは不謹慎極まりない考えであり許されないと考えます。

憂さ晴らしに学校の校舎の窓ガラスを割りまくる事件が稀に報道されますが、当然、やった本人に弁償させるべきです。資力がなくて払えないのであれば、本人を拘束して労働させるべきで、親が払うべきではありません。ましてや納税者が負担する必要などさらさらありません。甘やかしてばかりいるからこうした子供が更正しないのです。

破滅的な財政難の中で、日本中で車道の塗り替えや歩道分離帯の撤去が行われているのでしょうか。故意に割られた窓ガラスの交換等に税金を投入するのと同様、無駄遣いとしか思えません。我々はそんなことのために税金を払っているのではありません。


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