第36号「経営音痴大臣」(2012年12月8日配信)

 選挙戦真っ盛りで、もはやどうでもいい話になってしまいましたが、名物文科大臣のお騒がせには呆れました。ただ世間を騒がせただけ、関係者に迷惑を掛けただけに終わり何の益もありませんでした。と言いたいところですが、今回も一つ収穫がありました。なにかしら騒動を起こすたびにメッキが剥がれ落ちるので面白いと思っておりましたが今回もさらけ出してくれました。それは彼女が「経営」と云うものを全く分かっていなかったことが分かったということです。

「大学設置の認可も下りないうちから土地を購入して建物を建て学生を募集するのはオカシイ」ということでしたが、これが海外ならあるいはそういうことが言えるのかも知れません。しかしここは日本国です。わが国の大学設置基準は法律に基づいて中央教育審議会に諮問して決められており、その内容は公開されているのです。そしてその基準は達成不可能なものではないのですから、審査と平行して工事を進めることに何の問題もありません。土地の確保ができるのか、そのための資金の手当てが出来るのか、購入した土地に遺跡が埋もれていたりしないか、どんな講師陣を揃えることが出来るのか、全体にどんな設計になるのか等、実際にコトを進めていかなければ分からないことは沢山あります。紙だけでは審査するほうも審査ができないでしょう。

 そして基準にそぐわない点があれば、改善・修正していけばいいのです。また見切り発車する以上、関係者は万難を排して認可が下りるよう覚悟を持って努力していくものなのです。開校が1年遅れればそれだけ収益が減少するのです。認可が降りてから土地を探し出すようなことでは開校は何年遅れるかわかりません。損失は莫大となります。審査と並して少しずつ建設工事を進めるのは、異常なことではないと思います。

 また、大学が多すぎて質が低下しているから新規の開設を認めないというのも矛盾です。新規参入を促し、大学どうしを切磋琢磨させて質の向上をはかる、あるいは適正水準に持っていくということで大学の設置基準のハードルを下げたやに聞いています。新規参入をストップしたら既存の大学が既得権に安住して劣化してしまうと考えるべきです。学生の質が下がってきているとしたら、それ以前の教育、ゆとり教育の影響は無視できないでしょう。

 もうすぐ国民の審判が下りますが、政治家のレベルが低かったらそれは選挙民のレベルが低いからである、という意味の主張を何かで読みました。まさにそのとおりだと思います。有権者は候補者を選んでいるつもりかもしれませんが、どんな候補者を選ぶか注目されてもいるのです。有権者としての良識を示さなければと強く思っています。


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