第17号「ビックリ病院」(2012年7月27日配信)

企業経営の指南書によると、企業の組織改革・新規分野への進出等の重大事は体力のあるとき実行しなさい、ということになっています。赤字で追い詰められてからジタバタしても選択肢が限られ、うまくいかないということでしょう。今回はこの教訓は企業経営以外にも当てはまるというお話です。

柔道の授業で息子が頭に衝撃を受け、その直後に激しい頭痛で学校近くのN医科大病院に運ばれました。異常がないということで退院し、通学はしていましたが頭痛は断続的に発生していました。その約2週間後の日曜日の朝、自宅で気を失ってしまいました。

埼玉の救急車は原則として東京の病院へは行けない等の規制のなかで、通院履歴のあるN医科大病院は搬送可能な病院でしたが病院側の体制が整わないという理由で受け入れてもらえませんでした。日曜日のため救急受け入れの病院が極端に少ない中で、救急隊員の方があちこち電話で探してやっとS医科大総合医療センター(以下、センター)に受け入れが決まりました。

病院への受入打診のたびに、それまでの経緯やら状況を説明するので、センターに決まるまで1時間以上かかり、その間息子は救急車の中に寝かされたままでした。これまでの経緯からすると、失神が長時間続くと、脳への酸素の供給が止まるせいか体のマヒが生ずるので気が気ではありませんでした。

同センターに運び込まれて息子の意識が回復したときは本当にほっとしたものです。その後CTスキャンだ、脳波検査だ、MRIだと検査が続きましたが物理的な異常が見つかりません。はては精神面の専門家の診察も受けたりしましたが異常なしでした。原因不明、従って治療法も不明なのでただ経過観察だけであとは寝てるだけという状況でした。

それでも息子の右半身の手足のまひも徐々に消え、発作も起きず安定してきたので、医者のほうから「退院」ということを言ってきました。検査ばかりで治療をするわけでもないし、全く意味が無い入院でカネばかりかかるので、同意しました。大きな不安を抱えての退院で、唯一の頼りは効き目のはっきりしない頭痛薬だけで、発作が起きたら救急車を呼ぶしかありません。

そして退院当日、病院に行ったら息子の病室の前に車いすが置いてあり、様子が変なのです。入ってみると、夜中に失神し、ナースコールが故障していて即座の治療が受けられず、息子は失神したまま朝まで放置された事が分かりました。せっかく治った右半身が再び麻痺して動かなくなっていました。怒りがこみ上げてきました。

前日、息子と同室だった患者が退院し、3人部屋に息子一人になったので息子は別の部屋に移されました。照明や空調関係の経費の節減のためだろうから変更自体は問題ではありません。問題は、病室が変更になった時、ナースコールがきちんと機能するか確認したいといったのですが、毎日確認しているから不要だということで断られたことです。

後で気がついたのですがそれまでの入院中、息子も私もただの一度もナースコールの点検の場面に出くわしたことはありません。いつ発作が起きるか分からない患者から要求されてもことの重大性を理解できないこの連中は一体何なのでしょうか。医療不適格者としかいいようがありません。しかも看護師が謝罪に来ないのです。担当の先生が謝罪したので一応納めましたが、看護師長というのが来て謝罪したのはさらにその翌日でした。

このセンターというのは、「週1回」という英文を読めなかった医師(そんな奴は医者を目指すな)が抗がん剤を毎日投与して女子高生を死なせた病院です。このことは知っていましたが、息子が倒れたのは日曜日で受け容れ病院はそこだけでした。要は選択の余地が無かったのです。選択肢が他にない追い込まれた状況下では、情報など持っていても生かすことができません。やはり経営の指南書が云うとおり、このセンターではその後もいろんな問題に悩まされました。


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