第12号「IFRSはどうなる?(その2)」(2012年6月22日配信)

前回は、IFRSの全面採用にもろ手を挙げて賛成できない理由として、日本基準の調整ですむのではないか、将来予測を重視しているようだがそういったことは会計情報提供者ではなくその利用者(投資家)が自己責任でやるべきではないか、の2点をあげました。今回はもうひとつ、IFRSを世界中に普及させる必要があるのか、ということについて述べたいと思います。

私が子供の頃、世界の紛争・戦争の根源は言葉が各国マチマチで相互に分かり合えないからだ、ということから世界共通言語が作られたということを学校で習いました。「エスペラント」という言語です。動機は高尚だったかも知れませんが、所詮は無理な試みだったと言わざるを得ないと思います。エスペラント誕生から1世紀が経過しましたがさほど普及もせず、紛争やテロ活動はますます増加しているからです。

エスペラントとIFRSと何の関係があるのかと言われそうですが、要するにわが国の文化を背景に育ってきた「日本の会計基準」を捨ててまで採用するだけの価値がIFRSにはあるのか、ということです。確かに日本の会計基準には欠点もありましたが、改良を重ね、世界に比してそん色ないレベルになったという評価だったはずです。それがここ数年の間にあれよあれよという間にIFRSでなければ基準じゃない、と言わんばかりになってきたというのが実感です。

例えば、ローンを組んで一戸建てを買う傾向が強い米国人と、住宅は賃借で済ますドイツ人とではインフレに対する感覚がまるで違うはずです。雇用に対する考えも各国で違うでしょう。当然、政府の経済政策に対する評価もそれに対応する企業行動も異なってきます。各国の宗教、文化、商慣習、法体系、労使関係等には大きな差異があります。複数税率の付加価値税と単一税率の消費税、自分の担当以外には絶対手を出さないアメリカの労働者と改善提案の出来る日本の労働者等具体例を挙げればキリがありません。長い年月をかけて、こうした種々の要素が反映された商取引・商慣習が出来上がってきています。それを一つの会計ルールで処理しようという発想自体にエスペラントと同様の無理を感じます。

IFRSなる統一会計基準に従って財務諸表を作れば、ファンドや基金がその財務諸表を全面的に信頼し、それに依存して大企業への投資価値を判断するようになるでしょうか。巨額の資金を操るファンドや基金にとっては、財務諸表の数値はあくまでも参考資料であって、自らの投資勘なり独自の情報網から入手する価値ある情報を持っているはずです。彼らはそうした情報に基づいて投資をしているのではないかと思うのですが…。

IFRSの策定や設定さらには普及のための活動には大変なコストがかかっていると思いますが、寄付金でまかなっているのでしょうか。ファンドや基金が本当にIFRSの普及を望んでいるのであれば、彼らはそれなりの支援をしてくれると思います。もし、そういった働きかけが実際に行われていてファンドや基金からの金銭的支援がなされているのであれば私は考えを改めます。時価評価を異常なまでに強調するIFRSは、ファンドにとっては好都合な会計基準かも知れません。そうであればIFRSは、金融業界が望む会計基準、金融立国を目指す国には有益な会計基準ということになります。

しかし推進派の言うようにIFRSがそれほど効果の高いものならば、あるいは金融業界が強く望む会計基準ならば、すでにそれを採用しているEUでは企業の資金調達がうまくいき経済も順調に推移しそうなものです。そして国民は大いにその利益を享受できるようになるはずですが、そういう風には見えません。

さらに加えて、日本基準に準拠した財務諸表は海外では相手にされず、海外進出した日本企業が現地で資金調達が出来なくなるということですが、なぜ海外での調達にこだわるのでしょうか。日本の1400兆とも1500兆とも言われている個人資産から調達したらいいのではないかと思います。


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